2017-06

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みちった

アニワン感想は明日へ。

今日は、「おくりびと」を観てきました。
アカデミー賞効果は凄いですねー。一番大きなシアターにかかってて、客席はほぼ満席でした。
久し振りに、映画でズビズビ泣いた。まぁ映画自体、そんなに観ないのでなんでございますが。
おかげで、今、泣きすぎて頭痛いです。(ごーーん)

観ている途中、祖父と祖母の亡くなったときのことが思い出されて、胸に込み上げるものがあったわけです。無くなった当時、通夜から葬儀と一通りお見送りの儀をしているときはちっとも泣かなかったのに。本当に泣かなかったんですよ。なんだろなー。あの時もそうだけど、祖父と祖母に関して言えば、私の中では「死」というは事象の終りではなく、あの世への移行に過ぎないという考えが既にあったからなんだろうな。

納棺師という職業を今回、この作品で知ったのですが、劇中でなされる一連の動作がとても美しかった。同時にこれはその作業そのものが死者からの(納棺師の手を通した)決別の儀式なのだと感じたのです。……うまくいえてないけど。
死者という葬送の主役が納棺師の手を借りて、その境界線を自ら表している、ように見えたんです。そう見えたのは、納棺師の二人が、死者と生者の中庸であることを体現していたからなんじゃないかと。死者に寄り添い生者の手を引き、けれど干渉しない。
劇中、仕事をこなすにつれ、主人公の、時折見せる困ったように眉根を寄せた表情が、彼の揺らぎを表し、そうしてしまうことを咎めない雇い主の見守る視線がとてもあたたかい。
「死」というのもまた日常でしかないことを、するりと思わせる作品じゃないかな。
生まれた以上は必ず死ぬわけですものね。ただ、「死」は「死者」よりは「生者」のためにあるんだと思いました。死者をどうこう言うのも、思うのも、全ては「生者」が「死者」に抱いていた「思い」の発露でしかないんだと。


劇中で数多の「あの世へお引越し」の方々が、最後のお化粧で、ほんときれいになっててさ。

祖母が亡くなったときの顔を思い出しました。孫の私からみて、化粧を施された祖母はとても可愛かったのを覚えています。死ぬときは祖母のように死にたいと本気で思ってます。それくらい、祖母は「いい」死に方だったのです。だからきっと、あの世でイエス様のそばにいると思ってます。思うのは生者の勝手でしかないんですけどね。
今年の祖母の「もう一つの誕生日(命日)」はお盆とかぶるので、今年はお祝いできそうです。

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